〇社会保障は誰のためのものか
政府は、財政状況や消費税の引き上げに応じた認知症患者や要介護者の許容数、それに応じた医師や介護士の必要数を試算。高齢者の社会参加や予防医療の促進など具体策を示すため、経済産業省主導による新組織を立ち上げるとのこと。
政府、社会保障維持へ新組織 要介護者許容数など試算(1/4 産経新聞)
政府は3日、現在の社会保障制度を維持するための対策を検討する新組織を今年度内に立ち上げる方針を明らかにした。国の財政状況や消費税の引き上げ程度に応じた認知症患者や要介護者の許容数、それに応じた医師や介護士の必要数を試算。これらの指標に基づき、高齢者の社会参加や予防医療の促進など具体策を示す。患者数減少で社会保障費を抑制し、財政健全化を図る考えだ。
新組織は経済産業省が主導し、厚生労働省や財務省、内閣府や関連団体の有識者でつくる。まず、国民皆保険制度や介護保険制度など現在の社会保障制度を維持するため、財政状況に応じて認知症患者や要介護者の増加をどの程度許容できるか、それに伴う介護人材や医療施設などの必要数も試算する。消費税を8%、10%、15%、20%にした場合の財政状況に応じた指標を算出し、対策を検討する。
僕自身は、現在の高齢者をめぐる社会保障制度について、高齢者と現役世代の間に無用の混乱と確執を生んでいるという点から懐疑的な見方を持っています。
ですが、社会保障制度をめぐるこの記事については気になる点が2つありました。
- 「国の財政状況や消費税の引き上げ程度に応じた認知症患者や要介護者の許容数、それに応じた医師や介護士の必要数を試算」すること
- 「新組織は経済産業省が主導」すること
〇認知症患者や要介護者は財政状況で「許容される」べき存在か
まず、1ですが、財源の確保や財政状況によって「許容される」認知症患者や要介護者の数が決まり、「その数に応じた」医師や介護士の数が決定されると読めます。
しかしながら実際の高齢者介護の現場では、認知症の進行度合いや症状の現れ方も十人十色です。
しかも介護が必要な方々は高齢化の進展で今後も一定数は増加していきます。(財政状況が許すか否かに関わらずです。)
『財政状況が許す範囲の患者についてはケアするけども、それを超えればケアを削減する。』
この考え方を突き詰めると「介護の切捨て」→「介護難民の増加」→「高齢者の社会的不満」につながっていくことが懸念されます。
これって、昨年の「保育所落ちた 日本死ね」の高齢者版になるのではないでしょうか?
しかも保育所の問題と違い、高齢者においては既に制度が出来上がっているため、これに対する(将来への期待を含む)既得権の侵害と受け取られ、反発は予想以上に強いと思われます。(それが正当なものであるかどうかは別として。)
また、医師や介護士の必要数は全国的な数が足りたとしても、実際には地域ごとの分布に大きな差があり、特に地方の限界集落などでは人手不足が顕著になっているのが現状です。
この地域格差にどこまで対応できるのかにも不安が残ります。
〇経済目線での社会保障論議の危うさ
次に、2ですが、この議論を経済産業省が主導する点です。
経済産業省は、2001年省庁再編の中で「通商産業省」から「経済産業省」に衣替えしています。
このときに内部では「我々は念願の『経済官庁』になった。」との声があったとされており、財務省(旧大蔵省)への対抗意識を鮮明に示した時期があったと聞きました。
今回の社会保障制度の議論を経済産業省が主導することについては、「健康産業」や「高齢者の労働機会の拡充」、「介護サービス業の多様化」といった前向きな議論も想定されます。(僕もこの点には期待したいと思っています。)
一方、経済・財政の側面が強調されすぎると、介護の現場の実態から離れた社会保障制度に変質していくことも懸念されます。
これでは、高齢者と現役世代の確執と混乱が一層深刻になっていくことになりかねません。
〇まとめ
高齢者介護に対して、僕自身は高齢者の負担を一定程度増やす代わりに、お仕着せではない介護を自己選択できることが必要だと思っています。
そのためにも『現役世代のうちから自分らしい老後を考え、必要となる資産を投資によって築いていくこと』が、高齢者と現役世代の両方にとって、満足度の高い社会福祉となる気がしています。(僕がFP資格を取得したのも、結局こういう考え方に起因するのかもしれません。)
「情けは人のためならず」 この言葉をもう一度噛みしめたいと思ったニュースでした。
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