皆さんはお得だと思って買った服をほとんど着ないままタンスの中に入れていませんか?
また、無料でもらったボールペンがたくさんペン立てに突き刺さっていませんか?
僕はよくあります。
従来の経済学では、人間は完璧な理性=「合理性」を持っているという仮定で語られてきました。
しかし、実際の人間はその時々で極めて「不合理な判断」で物事を決めています。
このような人間の不合理な判断にはどのようなものがあり、それはどうして起こるのか。
それを解き明かそうとするのが、最近話題の「行動経済学」です。
この分野で、2017年のノーベル経済学賞をリチャード・セイラー氏が受賞したのも記憶に新しいところですよね。
今回、行動経済学を平易で面白く紹介した『予想どおりに不合理 ダン・アリエリー 著』を読みました。
その内容を追いながら、同じ行動・失敗を繰り返す人間の不合理性について考えてみました。
本投稿のサマリー
- 経済学では、人間は完璧な理性=「合理性」を持っているという仮定が、経済理論や予測、提案の基盤となっている。
- しかし、本書では「人間の不合理性」に着目。どこが理想と違っているかを認識することは、毎日の行動と決断に役立ち、我々を取り巻く状況やそこで示される選択肢がどのようにつくられているかを理解するうえで重要。
- さらに、不合理性はいつも同じように起こり、何度も繰り返される。「予想どおりに不合理」であると考える。
- たとえ不合理が当たり前であっても、いつどこで間違った決断をする恐れがあるかを理解しておけば、もっと慎重になって決断を見直す努力ができるし、科学技術をつかってこの弱点を克服することもできる。
本書は、全体として行動経済学にまつわる、人の行動の様々な「不合理性」に触れながら「なぜそうするのか?」「実生活の中でそれがどう影響するのか?」を解き明かしてくれます。
また、各章が独立していて、ユーモアあふれる(多分にアメリカンジョーク的ですが)具体的な実験とエピソードから構成されています。
このため、全体は400ページほどですが、空き時間でスイスイ読めました。
この投稿では、本書の各章ごとに僕なりの要約・解釈を交えてまとめています。
ただし、第6章は「諸般の事情」により割愛しています。興味がある方は原書に当たってみてください。
なお要約なので、やや抽象的な表現で分かりにくいところもあると思います。
本の中では具体的エピソードがあって理解しやすいので、是非本書も読んでいただきたいと思います。
各章ごとの要約
第1章 相対性の真相
私たちは、あるもの(サービスや就職といったものも含む)を選択するとき、常に他のものとの比較、すなわち「相対性」によって選択しがちである。
さらに、比べやすいものだけを一所懸命に比べて、比べにくいものは無視する傾向がある。
このため、相対性をもって比較できるものを、その比較が真に意味があるのか、また自分にとって必要なものかにかかわらず、比較優位的に選択してしまう。
この特性を利用すれば、客に思考停止させ、一定の方向に誘導することも可能になる。いわゆる「おとり効果」である。
この「相対性」の解決策としては、選択しようとするものが、他との比較なしで真に選ぶ価値のあるものかを冷静に判断することとともに、比較の雑音から距離を置いて冷静な判断ができる環境を意識的につくることが重要である。
第2章 需要と供給の誤謬
私たちは、製品をある価格で買うと(たとえその価格が恣意的なものであっても)、一度意識に定着することでその価格に拘束される。
また、その商品の価格だけでなく同じカテゴリーの関連商品の価格や未来にわたる価格まで方向づけされてしまう。
これが「恣意の一貫性」であり、価格(アンカー)が以後を拘束(アンカリング)する。
あるものにいくら払うかだけではなく、いくら受け取るかということまで影響を及ぼす。
このため、同じ不快な体験でも、低い金額を提示された人は高い金額を提示された人よりも同じ体験を甘受するのに低い金額で応じるようになる。
この行動の回避策としては、自らの弱点を自覚することからはじめるべき。
ある習慣はどう始まったか、それからどれだけの満足を得られるか、自分が繰り返している行動に疑問を持つよう訓練する。
これら「恣意の一貫性」においては、消費者選好だけではなく、伝統的な経済学にもインパクトを与えている。
それは市場価格が需要と供給の均衡によって決定されるということに対する疑問である。
需要については、「恣意の一貫性」によって消費者の支払金額を操作される。
それを操作しているのは主として供給側の広告マーケティングなどである。
「恣意の一貫性」は政府と国民の間でも同様である。
増税による需要の減少は、短期的には生じうるが、長期的には新しい価格に段々と慣れていって(=新しい値段と新しいアンカーに再順応していって)いずれ元のレベルに戻っていくと考えられる。
第3章 ゼロコストのコスト
自分が本当に求めているものでなくても、「無料」にしたとたん、人は不合理にそれに飛びつく。
その理由として考えられるのは、「人間は何かを失うことを本質的に恐れるから」である。
無料のものを選べば、目に見えて何かを失う心配がないが、無料でないものを選ぶと不適切な選択をしたかもしれない危険性が残る。
このため、販売側はこの特性を利用して、「無料」商品との抱き合わせ販売を行い、人は本来不要なものを必要以上に高い価格で購入してしまうことさえある。
「無料」は単なる値引きではなく、全く別の価格であるといえる。
これを活かそうと思えば単に値下げするのではなく、何かを無料にする方がはるかに効果的である。
社会政策上も同様で、重要な健康検査を受けさせたいと思えば、自己負担金を下げるのではなく、「無料」にするべきである。
第4章 社会規範のコスト
私たちは「社会規範が優勢な世界」と「市場規範が規則をつくる世界」の2つの世界を同時に生きている。
前者は我々の社交性や共同体と結びついており、たいていほのぼのしており、労働力の提供に対して即座に対価を支払う必要はない。
一方、後者は賃金や費用便益など、そのやり取りはシビアであり、対価を支払う必要がある。
この社会規範と市場規範が衝突すると問題が起きる。考えの中に市場規範が入り込むと、社会規範が消えてしまう。
ひとたびお金のことが頭に浮かぶと、日々の生活に見られるような社会的動物らしいふるまいをしなくなる。
そして、それは人間関係を損ねてしまい、社会的な関係を修復するのは(将来にわたって)難しくなる。
人をやる気にさせる方法としては、実はお金に頼るのが最も高くつく。
社会規範は安上がりなだけでなく、より効果的な場合が多い。
個人間や企業と従業員でも同様である。
現金や賃金といった市場規範の範疇ではなく、プレゼントや福利厚生などの社会規範に訴えかけるものは、一見すると資源を割り振る方法としては効率が悪いように思えるが、長い期間にわたり相互利益や肯定的な感情をつくりだすのに重要な役割を負っている。